連続掌編『月に愛された男』(3)

「……いやほんと、その、僕が悪かったから」
「浮気性はよくない、よくないんだよっ」
「こ、今度会った時埋め合わせするから!」
「今してよう!」

 頬を赤らめて怒るセレネちゃん、心持ち周囲の潮位も上がった気がする(たぶん)。
 そりゃまあ彼女とも微妙な関係とはいえ、セレネちゃんをほっといて他の子を口説いてたら怒るよな。

「ぶー……まあ、まだ恋人どうしってわけじゃないんだし、きみが浮気性なのはわかってるけどー」
「いやほんとスミマセン」
「この子と付き合い長いの? えーと、きみの幼馴染の名前……」
「透子ちゃん」

 交野(かたの)さんちの透子(とうこ)ちゃん。
 僕の幼馴染みだ。
 可愛い名前だと思うんだが、そう言うと透子ちゃんはいつも不機嫌そうな顔になる。

「そうそう、透子ちゃん。わたしが身体を使わせてもらってる……」
「僕は〈代理人〉と呼んでるけど」
「呼んでるね。でも〈代理人〉って、なんなのかな?」
「いや、それは僕が教えてほしいというか、なんで君が知らないのさ」
「やー、わたしもある日気付いたらいきなり地球にいたんだよね。だから、なんでこの子がわたしを受信してるかとかはさっぱり」
「受信って……」

 でも、確かにその言葉は僕の考えとも近い。
〈代理人〉というのは、たぶんアンテナのついたテレビみたいなものだ。
 テレビの中には外国人が入っている訳ではないが、チャンネルを合わせれば外国人の話を送り届ける事もできる。
 今は透子ちゃんから、セレネちゃんという人格(ルビ:でんぱ)が放送されている訳だ。

「……なにだまってるの?」
「で、そのテレビにはカメラやら何やらの機能もついていて、見た事や聞いた事を月まで送り届けてもいると……や、こっちのこと」
「受信してた?」
「たぶん、チャンネルが混線したのかな。……いや、僕がじゃなくて」
「こわれた?」
「僕はデンパさんかよ!?」
「やー、大宇宙帝国の銀河大統領の話とかしたりする?」
「楽しみっぽい顔で言うなよ!」
「そ、そんな顔してないよ? えーと、それって〈代理人〉のこと?」
「……そうだよ。ある日たまたま君の人格が憑依しちゃったとか、そんな感じかな」
「うーん……」

 セレネちゃんは納得いかなげだが、僕だって納得はいってない。
 突然誰かの人格が別の誰かに乗り移る(しかも38万km越しに)なんて、隕石に当たるよりありえないよなあ。

「ま、いいや。あんまり気にしててもしょうがないし」
「切り替えが早いのは心の底から君のいいところだと思う」
「埋め合わせ、して。何してくれるの?」
「え? あー、えーと……食事とか」
「わたし、ごはん食べても味よくわかんない」
「プレゼント」
「透子ちゃんのものになっちゃうじゃん」
「誠意ある言葉」
「信用できません」
「…………」
「…………」
「……あ、頭をなでさせてください」
「……どーみてもそれ、埋め合わせになってない」
「ごめん、後退しすぎた。嫌?」
「え? えーと、そうじゃなくて」
「なら、OK?」
「……お、おっけー」

 彼女の頭に手を乗せると、その身が恥ずかしそうに震える。
 勿論その身体は、僕も見慣れた透子ちゃんのものだ。
 でも、やはりセレネちゃんはあの強気な幼馴染とは別人なんだと、実感する瞬間だった。

「どんな感じ?」
「なんか、ふわふわしてよくわかんない。いつもそうだけど……」
「いつも? それは、〈代理人〉を経由してるからかな?」
「たぶん……きみと触れあってる時も、いつも布越しにさわりっこしてるみたいな感じ……」

 彼女の髪はさらさらして気持ちがいいし、身じろぎして見上げる視線はとても可愛いと思う。
 僕は楽しい。それを共有できない事は、悲しいけど。

「んー、それにしても実にここちよい感触……」
「…………」
「シャンプーとかリンスとか、どういうの使ってるのかな……」
「…………」
「こうしてこうして……おお、ツインテールができた」
「…………なにやってるの」
「いや、ちょっと小学生のように童心に帰って」

 そう言いつつ、にわかに僕の手は止まっていた。
 いや、その声がえらく不機嫌そうなのは気付いてたんだ。

「あなたの髪も手入れしてあげましょうか?」
「……は、ハサミで?」
「鉈で」
「ヘッドクラッカー!?」

 慌てて手を離して謝る。
 そのきつい目線は、やっぱり透子ちゃんのものだ。

「……また?」
「また」

〈代理〉をしている当人であるところの彼女は、僕ら以上に事情には疎いんだが。
 このひとことで、最近はだいたいの説明が済んだことになってしまう。

「それにしても、勝手に女の子の髪に触るものじゃないわよ?」
「いや、一応あっちの許可は取ったんだけど……」
「ホント?」
「まあまあ。それより送ってくよ、最近物騒だし」
「うーん……あれ? あの子、誰?」
「誰って? 僕の視界には見えないけど」
「いや、ほら、あなたに手を振ってるじゃない、女の子が」
「さっぱり視界に映りませんが」
「……可愛いワンピースを着た娘が、あなたに向かってるんだけど」
「全く身に覚えがありません」
「いや、もうあなたの目の前にまで走ってきて……あ、抱き着いた」
「うおぉぉおおぉっ!!?」

 全身全霊をかけてその生き物を引き剥がす。

「あん……そんなに乱暴にしないでください、お兄様ぁ……」
「いいから離れろぉっ!」

 そいつは、僕の実の弟だ。

連続掌編『月に愛された男』(2)

 セレネちゃんの瞳は、澄んだ湖底のように綺麗な青色だった。
 だからその瞳が黒く変わる時、もう〈代理人〉は〈代理人〉じゃなくなる。
 今僕の目の前にいるのは、普通の人間の女の子だ。
 
「説明しなさい」
 
 彼女が僕の方に鋭い視線を向けた。擬音にするなら、“きっ”ていう感じで。
 この女の子は僕の幼馴染でもあり、今では同じ高校のクラスメートでもある。
 
「説明?」
「とぼけないで。あたし、つい数秒前まで家でくつろいでたのよ? なんでそれが、あんたの目の前にいなきゃならないの」
「あー……そりゃまあ、疑問にも思うよな」
「そうよ。それに一度ならまだいいけど、これで何回目だと思ってるの」
「しかもその時には、決まって僕がいたと」
「いたと、じゃなくて。ほら、あたしの事を見てたんならちゃんと見てきた事を言う」
「実は君は月の女神に憑依されてたんだよ。ついでに言えばその女神は僕とらぶらぶちゅっちゅな関係なんだが」
「へー」
「……全く信じてないね?」
「十歩譲ってあたしがそういう妄想を発症してたとしても、後者はありえないわ」
 
 妄想かよ。
 彼女は昔から頭が良かったし、これで柔軟性もあるんだが、さすがにセレネちゃんの事を信じられるほど柔らかい頭じゃないらしい。
 もっとも僕の方も、〈代理〉の秘密については本当に理解してるわけでもなんでもないんだよなあ。
 
「……なに見てるの?」
「いや、僕と君も付き合いは長いけどさ」
「?」
「最近とみに胸が大きくなったな、って」
「…………」
「柔らかそうだよね」
「そうね」
「スルー!?」
「そして殺すわ」
「そして!? ゆ、許してくださいお願いします!」
「はあ……あんたはあたしの事を、何だと思ってるの?」
「……つ、ツンデレ?」
「ふざけんな」
 
 超土下座した。
“謝るくらいならセクハラしなきゃいいのに……”と呆れた表情で見下される。ちょっと快感。
 
「……もういいわ。その代わり、ひとつ聞いて」
「お、おお。なにかな?」
「そろそろ帰りましょう。暑いし、蚊がくるし」
「順当だなあ。この場合“何かおごって”とか言うのがパターンなんじゃないの?」
「そんなの、食べ物でごまかされてるみたいで嫌よ。あんただって嫌でしょうに」
「いやいや。僕は君との仲を取り持つためなら、食べ物くらいはいくらでも」
「いいってば」

「じゃあ、君と僕の仲を縮めるために! さあ近所に美味しいパスタのお店があるんだ、さあさあさあ!」
「はん」
「鼻で笑われた僕の青春!?」
「……誰にでもそういう事を言っちゃダメ。だから親しい子ができないのよ、普通はいきなり口説かれても気持ち悪がるだけよ」
「せ、正論だ! 正論が来たよお姉ちゃん!」
「誰がお姉ちゃんか。……相手の身になって考えてみてよ。もっと性別以前に、身近な親しい関係を……」
「いや、僕は女の子が大好きなんだよ! そんな僕のどこが間違ってると!?」
「方法」
「ギャフン!」
「……というか、そんな手広くやらなくてもいいのに」
「え?」
「だいたいわたしがいるのに、どうして他の子に手を出すかなあ……」
「え、え?」
「ゼロ距離がいいのかっ! 本当の身体とぎゅーしたりちゅーしたりしたいのかっ! それとも婚姻届でも出したいのかっ!」
「げえっ! セレネちゃん!」
 
 ジャーン! ジャーン!

連続掌編『月に愛された男』(1)

 この街で最も空の広い丘。
 僕は月夜の丘にて、〈代理人〉を通して彼女と会話をしていた。
〈代理人〉はいつもと同じように、短く切り揃えた髪を風になびかせている。
 僕と彼女の〈代理人〉経由での会話も、もう何回目になるだろうか?
 
「……ねえ、いいでしょ? わたしも一度くらい、あなたと直接会ってみたいよ」
「それは……いや、僕だってそれはやまやまだけどさ」
「ほんとに?」
「ほ、ほんとほんと」
 
「なんだよう、その言い方。わたしと喋ったりするの、いや?」
「いや、もっと仲良くなりたいに決まってる。これでも僕には、君以外に女の子の友達なんていないんだ!」
「ほ、本音のお付き合いって気持ちいい!」
「正直な話、君とねんごろになれるなら僕はルパンダイブを習得してもいい」
「ふじこちゃん! いやその、その辺の話は恥ずかしいからまたの機会に」
「うん、実は僕もちょっと恥ずかしかった」
「でもまあ、それなら会うだけなら別に問題は――」
「いや……あのさ、言いにくいんだけど」
「ん?」
「君は、その……僕にとっては、ちょっと体重が重すぎるんだよ」
「え゛」
 
「――ひ、ひどっ!? なにそれひどっ!? ていうかねんごろって言ったのになにそれ!?」
「僕だって1キロや2キロじゃどうこう言わないよ!」
「そ、それならっ」
「でも人間の標準体重を、7.36かけるところの10の22乗キログラムほど上回るのはいくらなんでも酷すぎるだろ!?」
「わ、わたしにそこまで痩せろと!?」
「そうだ! もうちょっと分かりやすく言うと、7360京トンほどダイエットしてほしいんだ!」
「けい!? 常用単位で表現しきれないぽっちゃりさんがここに!?」
 
「……まあ、今すぐやせろとは言わないよ。代わりになる質量の確保とかも考えなくちゃいけないし」
「う、うー」
「でもまだ会えないのは、君にもわかるだろ?」
「う…………」
「今のままの君が、ここに来ると……その、地球とか、滅亡しちゃうし」
「………………」
「そうだよな、セレネちゃん?」
「……う、うわーん!」
 
〈代理人〉は今の彼女の感情に同期して、ひぐひぐとしゃくりあげている。
 彼女は月だった。
 夜空に浮かぶ直径3500キロ。質量はさっき言った通り。
 こんな風に〈代理人〉を使って僕と会話をする彼女の正体を、いつ信じたかと言えば――
 うん、そうだな。
 最初に彼女を体重についての事でからかった5秒後、“観測史上最大の大潮”に呑み込まれたその時だろうか。