■おはなしについて
ゴースト『のよすが』の共作者であるユスラさんの書かれた小説です。
作品内での時系列は、近日公開予定のイベントであるのよすが最終章・シーン6『わたしと、影と、おひさまの物語』の直前。
アリチェのごく個人的なお別れの話であり、そして“あなた”につながるひとつの決断の話です。
「あれ? アリチェ、スマホに替えたの?」
違和感に最初に気付いたのはよすがだった。
キラキラにデコレーションされて、ストラップを沢山つけた、アリチェの象徴のようなガラケーが、シンプルな銀色のスマホに変わっていた。
「そーなんだよー。ガラケー、終わるって言われてさー。粘ってたんだけど、もう無理かなあって」
唇を尖らせるアリチェ。
ここは、よすがとアリチェ、そしてユーザがよく集まる行きつけの喫茶店。
レトロな純喫茶と呼ばれるその奥のテーブルでよすがとアリチェは待ち合わせをしていた。
え?と小さな疑問の声をあげるよすが。金の髪を揺らすアリチェはごそごそとカバンの中を弄り、見慣れたガラケーを取り出すとテーブルの上にスマホと並べて置いた。
「あ、よかった。まだ持ってるんだ」
ガラケーを見てよすがが言う。小さくヒビの入った画面にくすんだストラップたち。アリチェと言えばこのガラケー。そんな印象だったので、新品のスマホが異質に感じてしまう。
「うん。データ移すの、ここでしようかなあと思って。あ、私カフェオレとチーズケーキで」
アリチェが店員に注文をしながら言う。
「普通、そういうのってお店でするものじゃないの?」
よすがが尋ねるとアリチェはかぶりを振りながら、「告別式が必要だと思ったの」と言った。
「告別式? あの、お別れの?」
「そう。あのお別れの会を今からします」
何と別れるの?と不思議がるよすがを尻目にアリチェは丁重にガラケーと向き合った。
「お別れって、そのケータイさんと?」
よすがはテーブルの上のアリチェのガラケーを見て、納得できるようなできないような神妙な顔をした。
それを見てアリチェは面白そうに笑う。
「よすが少し髪伸びた?」
「アリチェは短くなった?」
「そういえばここに来るの少し久しぶりじゃない?」
形のいい唇からちゅうとストローでアイスコーヒーを吸うよすがを見ながらアリチェが言った。
「そう言われるとそうかも。最近お互い色々忙しかったしね」
「だからよすがにもケータイ持ってほしいんだけど、中々言っても無駄だしね」
もぐもぐとチーズケーキを頬張りながらアリチェが言うと、よすがはハハッと苦笑した。
「でも私もそろそろ持つべきなのかも。これからはいろんなところと連絡する必要があるし」
「それって本屋さん関連のこと?」
「だいたいそんな感じ」
よすがが黒い髪を指先に絡めて微笑んだ。
そしてアリチェのガラケーのマスコットにそっと触れる。
「アリチェと言えばこれだと思ってたんだけどな」
少し寂しげな声色に、アリチェも共感の笑みを浮かべる。
「私もいつまでもこの子と過ごしたかったな」
果たしてアリチェはこんな表情を浮かべる子だったか。
また不思議な気持ちになって、よすがは人差し指で眼鏡をくっと押した。
「さて、ケータイさんの告別式といきましょう。ありし日の思い出をー」
アリチェの言葉に、よすがは静かに佇まいを直した。
アリチェが手慣れた様子でガラケーのボタンを押していくと長い読み込みの後にずらりと現れた写真一覧。
よすがはそんなガラケーを見守っている。
「これが一番最初に撮った写真らしいよ」
制服姿のアリチェが自撮りの構図で画面に向かってピースしている。その表情は今よりあどけなく見えた。
「そして……この辺は見せたくないなあ」
ギャルと思われる子たちと一緒に写った写真。プリクラのようにキラキラに加工されている。
「どうして?」
「若気の至りだから」
「まだ若いじゃない」
いやぁと頬をかくとアリチェが声をひそめて言った。
「この頃は毎晩のように知らない友達と遊んでたなー。なんか夜帰らない子とか普通にいて一緒に朝まで遊んでさー。で、気付いたら、血を吸ってるんだよね」
この頃のアリチェは嗜癖のように吸血をしていた。苦笑しながらアリチェが言う。よすがはアリチェの言葉に声高に反応することはなく、静かに聞いている。
「気がついたら眠ってる友達と確かに満たされてる私がいて……。またやっちゃったってすごく落ち込むのにまた同じことを繰り返すんだよ」
「そういうアリチェ、実際に見たことなかったな」
「見なくてよかったと思うよ。でも、友達のお悩みを聞いたり、恋バナ聞いたりするのは楽しかったな。憧れの日本の高校生になれた感じー」
「それは……」
「あれ、なんでよすがそんな顔してるの?」
「いやー、縁がない世界だなって。でもそんなアリチェと友達になったのは不思議な感じだなあ」
「そうかー? そうでもないよ? よすがに会った時、なんか仲良くなる予感したし」
それはそうかもだけど。よすがはそう言うと一口アイスコーヒーで唇を濡らした。
「そしてこれは黒歴史。男の人と遊んでは吸血といたぶりを繰り返してた。お父様にぶたれた私が誰かをぶたなきゃおかしいーって。いみわからないよね」
「……っ!」
「よすが?さっきよりもっと変な顔してるよ!?」
「だって、これ触れたかったけど触れられなかったことだし、アリチェがそんな告白しちゃうし、どんな顔すればいいのかわからないよ!」
「え、ええーと、とにかくあの時のわたしは酷かったよ。よすがも一度見たよね? わたしが男のひとをいたぶってたところ」
「うん、あの時はもうおしまいだと思った」
「うん、わたしはそんなおしまいなことを繰り返してた。男の人はお父様と重ねてしまっていたし」
ここにいる友達たちさ……そう言うとぽちぽちと慣れた様子でガラケーを操作するアリチェ。
そこには男女さまざまな人の笑顔があった。
「お父様が私を殴ったり服従させたり、言葉で制圧しようとするのが愛情だったとしたら、私のそれも曲がってるんだ。
大切な人ほど傷ついた顔を見たくてたまらなくなる。でもそうして傷つけた人は私そっくりな顔してて。見ていられなくて記憶を封じるの。
だからここにいる人、ほとんどがもう友達じゃないんだよ。私のそんな顔を見せても友達でいてくれたのは本当によすがとユーザくらい」
真面目な顔で目を閉じて、唇を閉じるアリチェ。そして再び口を開いた。
「わたし、本当に、血の亡者にならなくてよかった。あと一歩で危うかったよ」
「よく堪えたよね、アリチェ。あの丘で言ってたっけ。『歯を食いしばって乗り越える』って」
言ったかもね、とアリチェは笑った。
苦笑いを噛みつぶしたような表情で。
「傷つけたい気持ちは、なくなっていないよ。でも私はもう乗り越えられる気がするんだ。それだけのことが、今までいっぱいあったよね?」
うん、とよすがが呟いた。
二人の間に心地よい沈黙が降りる。
アリチェは指先でひとつひとつ何かを確認しながらガラケーとスマホを交互に操作する。
「そういう訳で、アドレス帳を整理します!」
「おー?」
「思ったよりすっきりしちゃった。5ぶんのいちだよ」
「よかったの?」
「うん、よかったの。もう連絡することもないんだから」
スマホを持ち上げて、ふらふらと軽そうに振ってみるアリチェ。
そんな彼女によすがは心配そうな表情を向ける。
「アリチェ、スマホは誘惑が多いよ。フリマアプリも買い物アプリも沢山あるし、課金できるゲームだって沢山あるよ」
「うん……そうだね。それは私も怖いかなって。だからさ、そこで二人にお願いがあるんだ。私の保護者になってほしいんだ」
「二人……というのは、ユーザと、私に?」
「そう。あっ、保護者というか、保護者機能? これ以上アクセスできませんよーって、みはる機能」
「ああー、なるほど。それはいいかも」
すこし会話が途切れる。アリチェは再び静かにガラケーを操作していたが、よし!と顔を上げた。
「……アリチェ、終わった?」
「これで必要なものは全部スマホに移せたと思う!
そうか、これでもう、この子の出番も無くなっちゃうのか。このケータイと離れる日が来るなんて思ってもなかったよ」
「さびしいね」
「寂しいね」
二人がつぶやく。このガラケーと共にどれだけの思い出を積んだだろう?
泣いた夜も見えない朝も、笑った日も思い出の日もこのガラケーが側にあった。それに今、別れを告げようとしている。
「”永遠のお別れの瞬間が参りました。血と闇に紡がれし運命の終焉。貴方の思い出は永遠に私たちの心に留まるでしょう。
血の絆は切れても、魂は共鳴し続けます。安らかにお眠りください”
吸血鬼風のお葬式の挨拶だよ。このあと棺に花を添えて埋葬するんだ」
「……うん。
わたしはその言葉を、綺麗だと思う。
それは、作家さんが本の中に魂を書き残すことに似ているね。
思い出だけを置いて命とお別れするんなら、それはかなしいことだけれど、つめたくはないと思うんだ」
また本の話? とアリチェはからかうように笑う。
よすがはそれに付き合うように唇をとがらせてみせた。
そして二人は目を閉じ静かに祈る。
そうして、小さな告別式は終わりを迎えた。
「ねえ、よすが気づいてる?」
「ん? なにに?」
「こんなにたくさん写真があるのにさ、おどろくほど、三人の写真って少ないってこと」
「うん、そうだね。不思議だよね。きっと写真を撮る暇もなかったのかも。……でも、撮らなくても残ってるのかもしれないね」
「スマホみたいに変わっちゃうものもあるけど、残るものもあるんだね。
ガラケー終わるって聞いた時は何もかも無くなっちゃう気がしたけど、そうでもなかった。この子の魂は受け継がれてると思うの」
「……さっきの友達の話だけどさ、また友達になることはできるんじゃない?」
「あ……その発想は思いつかなかったかも。今度こそ友達になれたらどんなにか……」
「うん、未来はわからないよ」
「おかしいよね、過去を振り返るはずなのに未来の話をしてるなんてさ」
「いいんじゃない? うーん……じゃあその元友達に、今電話かけてみる?」
それは怖い、とアリチェはこわがる。
「だよねー……わたしだったら命令されても怖くてできないよ。アリチェならいけるかなって思ったけど」
「よっこはわたしを何だと思ってるのさ」
「こわいものしらず?」
「だらけだよ! こわいものだらけだよ!
あ、でもユーザとお話するのは怖くないかな……」
「じゃあさ、ユーザに保護者になってもらいに行こうか?」
「それいいね!」
二人は席を立った。
「行こう!」