『彼女の時間』6?

 これはバベル網の物語ではない。
 あるネットゲームの物語だ。


 
「…………」

「………………」

「…………あ、やば」

「……いたっ」

「もうちょっとだけ……」

「………………」

「……おなかすいた」

「…………発作、起きたりしないよね」
 
「――キミ、だいじょうぶ?」
「え?」
「ソロ狩りで苦戦ちゅう? ボク魔術師だよー、ヒールいる?」
「え、あ…………」
「?」
「…………お、お願い」
「ん。ひーるー」
「……ありがとう」
「へへ、どういたしまし――きゃーっ!?」
「な、なにやってるのさ?」
「え、えーと、魔法の詠唱してる最中に空中からやってきてたガーゴイルの群れに襲われてるところ!」
「解説しろって意味じゃないよ……」
「そして今から逃げようにも八方囲まれてて鳥葬ちっくです!」
「ああもう、助けに行くからじっとしててよっ?」
 
「結局即席パーティまで組んじゃった……」
「けひゅ……ひゅー……」
「……すごい傷だね。生きてる?」
「あー……い、今から自動回復するとこ。ありがとね、今までつきあってくれて」
「……ううん。君の名前は……サンティアゴ? なんだか、どこかで聞いたような名前だけど」
「気軽にさんちゃんって呼んでね」
「いや、そういう馴れ馴れしいのはちょっと」
「そう? あ、キミはアリウムちゃんって言うんだね。よろしくー」
「よろしく。でも、なんだか久しぶりに見たな」
「なにを?」
「支援特化の魔術師。ソロはどうしてるの?」
「あ、ボクはパーティプレイしかしないから。誰かとふたりでやるのがいちばんすきー」
「そう。じゃあ、ボクと逆なんだね」
「ちなみにこの場合のボクというのはボクのことなんだけど、きみも自分の事をボクって言ってるからボクなんだね」
「なにを言ってるのかよく分からないよ。というか、その……」
「?」
「いや……個人の趣味なのかもしれないけど……」
「……なにかな?」
「……その。何か、着ようよ」
「つけてるよ? ほら、まえばり」
「それは着るって言わないよっ!」
「えへへ、ありがとう」
「どこもほめてないよ!?」
 
「はぁ……こんな、裸みたいな格好をした子に会うとは思わなかったよ」
「あー、だからはじめてボクを見た時驚いてたんだね」
「ふつうは、驚くよ?」
「あはは。アリウムちゃん、かわいいね」
「……それにその耳。君の種族、なに?」
「エルフだよー」
「エルフってそんな耳だったっけ……?」
「じゃあ、ねこエルフで」
「いや、そんな種族はないから」
「ねこみみとかいいよね。あ、さわる?」
「…………い、いや、いいよ」
「ちょっと迷った?」
「迷ってない」
「でもキミの入ってる〈オールトの雲〉って、わりと有名なギルドだよね。ボクでも知ってるよ」
「突然話が変わるなぁ。えっと、君もどこかに所属してるの?」
「ん? うーん……んー、たぶんアリウムちゃんは、ああいうとこは好きじゃないって思うんだけど――」
「行くよ」
「えっ?」
「案内して。どこかな?」
「……そうだね。うん、ついてきて」
 
「はい。ここがボクの所属する〈サロスの周期〉の城です」
「……おじゃまします」
「いまは他の人は出かけてるかな。お茶でも飲む? 職人さんが作ったギャップ酔いしにくいやつだよ」
「あ、ありがと……ちょっと殺風景だね、インテリアとか買わないの?」
「や。アリウムちゃんは嫌がるんじゃないかなあ、と」
「? 別にボクは、家具が多くても少なくても気にしないけど」
「じゃあインビジ解くね。今まで隠蔽してたんだ」
「え、なんで、そんなこと――――あ」
「ふふ。この彫像とか、見ててどきどきするよねー」
「………………」
「作った人が言うには『このゲーム世界における技術と神秘の相克を表現した、と見せかけてアンドロイドと触手の絡みを彫れればなんでもよかった。今は反省してる』だって」
「……ごめん、やっぱり戻して」
「そう?」
 
「でも、あんな家具見た事ないけど……もしかして、チート?」
「ううん。ボクの身体とかも含めての話だけど、ぜんぶテクスチャだから」
「全部外面だけっていうこと?」
「うんうん。ほらえーと、鎧のペイントの応用かな?」
「……ああいう、あの、刺激的なペイントって、規約で禁止されてなかったっけ?」
「あはははは」
「笑ってごまかさないでよ……」
「あ、でもさわった時の感じとかはけっこう再現してるよ」
「いや、そんな事を言われても」
「さわる?」
「ど、どこにだよっ!」
 
「……それより。サンティアゴ、ちょっといいかな」
「ん。なにかな、アリウムちゃん」
「どうして、あんな何の意味もないチートをしてるの?」
「――――え?」
「違った?」
「……こういう時って、いちおうとぼけてみせた方がいいのかな?」
「いや、素直に答えてくれた方が話が早いんだけど」
「え、えーと、ボクはチートなんかしてないよー? さっきのはチートじゃないって言ったじゃーん」
「とぼけないでよ。ここで言ってるのは、戦闘の時の話」
「……なんで、わかったの?」
「ボイスチャットって、便利だよね」
「…………」
「このゲームは、ある程度仮想の現実に近い。だから受けた痛みも、触れた手の温かさも、ある程度現実の“本体”にフィードバックされる」
「じゃなきゃ、触った時の感じなんて伝わらないよね」
「でも、“ある程度”を越えた感覚は――特に痛みは、抑えられたものしか本体に伝わらない。そうじゃなきゃ、ゲームになんてならないから」
「……剣でぶっすりやられても、痛みはちくっとするくらいだよね」
「でも、ボクにはわかるよ。あの時のサンティアゴの声は、ほんとに痛がってた声だった、って」
「うん。モンスターのくちばしにおなかをついばままれるのは、ほんとに痛かったね」
「それに、自分で言ってたじゃないか。サンティアゴ――それとも、ウタゲって呼んだ方がいい?」
「――わ、気付いてたの?」
「気付くに決まってるよ。“ゲームならボクも遊んでる”って――“感覚フィードバックのリミッターを外して遊んでるギルド”にって、言ってたでしょう?」
「あ、そっか。ボクとキミは、そういえばちょっとだけ話した事が……」
「君が喘鳴している時は怖かった。もしすぐに返事をしてくれなかったら、ボクはどうしたらよかったんだろう?」
「ごめんね」
「謝らないで――ただ、不思議なんだよ」
「ふしぎ?」
「ボクなら絶対に嫌だ。そんな事をしなくても、頭をなでられるぬくもりとかは、十分すぎるくらいに伝わるのに」
「……ふしぎ、かな」
「どうしてわざわざ、そんな痛い事をしてるの?」
 
「……むつかしい話だね。お茶のおかわり、いる?」
「お願い」
「ん。――自分の事をしゃべるのは、いつもやってるけど、やっぱり久しぶりだな」
「嫌なら、無理にとは言わないけど……」
「ううん。アリウムちゃんの頼みだしね、ゆっくり話してみようか」
「……ありがとう」
「んー……確かに、もっともかな。えっちできもちいいことならともかく、痛いのが嫌なのは、当たり前の事かも……」
「…………」
「ただ、もし痛みでしか、自分が生きている事を実感できなかったとしたら」
「え?」
「もし痛み以外の感覚を、一切感じ取れないとしたら――」
「……君は、そうなの?」
「や、別にそんな事はないんだけど」
「…………よくわからないよ」
「うん。ボクにも、よくわからないんだ」
 
「言い方を変えよっか。アリウムちゃんは、痛いっていう感じがなんで苦しいか、知ってる?」
「……痛いのが苦しいのは、当たり前じゃないの?」
「その当たり前は神様の事だけど、それはもう死んじゃったね」
「え?」
「痛いのが苦しいのは“この痛さを無視したら死んじゃうよ”って、誰かが泣いてるからだよ」
「……誰が?」
「さあ? ボクの中では、もう誰も泣いてないから――もちろん泣いてる子は、勘違いをしてたかもしれないけどね」
「…………」
「――――」
「ボクも……」
「ん?」
「……ボクの中でも、誰も泣かないようにできるかな?」
「そうしたいの?」
「いや…………ごめん。忘れて」
「いいの?」
「いいよ。会ったばかりの子になんて頼めない事だし、君に頼ったらなんだかとんでもない事になりそうだし」
「あはは。あ、そうだ、お話の続きだけど――」
「いや、もういいよ。だいたい分かった気がするから」
「え、そう?」
「うん……お茶、ありがとう。思ったよりずっとおいしかった」
「へへ、そうかな――あ。じゃあ、ごほうびくれる?」
「ごほうび?」
「うん。アリウムちゃんにひとつだけ、頼みたい事があるんだけど」
「……なに?」
「頭を、なでてくれるかな?」
 
「……あれ。あなた、今まで出かけてたの?」
「やあヴィイ。んー、いままでゲームで遊んでてね」
「外の世界の? なんだか機嫌が良さそうだけど、誰か仲の良い子とでも遊んでたのかしら」
「だ、だれ? ……う、うーん」
「?」
「うーん、うーん」
「………………」
「うーん、うーん、うーん、うーん」
「……………………………………」
「…………友達、かな?」