狂乱書庫/キョウコ:小説 『ホームパーティー・ユートピア』

「ねーキョウコ、ここにおーだんまく飾ろう、おーだんまく!」
「横断幕? うん。じゃああの子のための椅子は、横断幕の正面に置こうか――」

 五人も入ればいっぱいになるだろう。そんな小さな部屋を、私とウタゲはいっしょうけんめい飾り付けていた。
 ――ここは電子の世界、バベル網の片隅。
 狂乱書庫と呼ばれる建物の管理人室。プライバシーの結界の元に、外界からは空間ごと切り離されている。
 内装はむかしこのあたりで流行っていた『人間の世界のイギリスの田舎っぽいドールハウス』をさらに真似して作ったもの。
 実際のイギリスとはかけ離れているのだろう。仮にも自分で調達したものだというのに、壁の絵のモチーフすらなんだかよくわからない。

「うーん。ねえウタゲ、ちゃんとかわいく飾り付けできてるかな……?」

 この部屋にあるものの全ての位置を、私は正確に把握している。
 私から見て真後ろの絵に、振り向きもせずに造花を貼り付ける。
 かわいくない絵がふわふわの造花に隠れていく。やっぱりピンクだけじゃなくライトブルーの造花もほしいな、と思いながら、柔らかい紙を折って造花を作る。
 もはや私自身とすら区別がつかない、ここが私の家だ。

「かざりつけ? できてるできてるー、ヴィイもよろこぶよ!」
「えへへ。そうだったらいいけど……」

 今ここにはいない私たちの家族のことを口にして、私とウタゲの顔がほころぶ。
 ――私たちの足下には“Happy Birthday!”と書かれた、バルーンつきの横断幕。
 ヴィイは私の娘だ。彼女の誕生日にはこうして私の部屋でホームパーティーをやるのが、私たち家族の暗黙の了解だった。
 同じく私の娘であり、ヴィイの姉であるウタゲは――今は、三人いた。
 でも私とお喋りしながら手を動かしているのは一人だけ。
 その左の娘はどこを見るでもなく座り込んで、飾り付けの小物を虚空からぽろぽろと生み出している。
 右の娘は夢遊病のように数歩壁に向かって歩いたかと思うと壁に頬をすりよせたりで、飾り付けには特に参加していない。
 ……もし人間がこの光景を見たら、酷い不安感を覚えるかもしれない。
 だがウタゲの人間の心はかけ離れている。
 自我の定義を拡張した、彼女は群体で生きるバベルだ。
 
 「ふわふわー」「ひらひらー」

 ウタゲの口から楽しげな言葉がこぼれるのが、私も嬉しい。
 たぶんヴィイに合わせてのことだろう――〈あの人〉の前では、ウタゲは常に一人で行動する。
 でもバベルの内輪ではウタゲも遠慮はしない。
 とりあえず三人。
 ウタゲが集団で行動する時は、三人で行動することが多かった。

「りんごー」「りんご?」「キョウコ、りんごたべる?」
「ありがと――うん、おいしい」

 造花作りにいそしんでいた手を止めて、私はウタゲにもらったリンゴを食べる。
 カット済みのリンゴが突然現れたことにも、疑問を抱く余地などない。
 しばらく休憩、そして作業を再開――

「キョウコ、つかれない? もちょっとやすむ?」
「私が? ううん、だいじょうぶよ」

 そう言ったのは本当だ。でも私は私の常識からしてもかなり迂遠なことをやっている。
 過去の記憶の中から、あるいは他のバベルが作ったライブラリからオブジェクトをコピーしてくれば、手を動かすまでもなく「モノ」はいくらでも生み出せる。
 今造花に埋もれている絵は、そうやって適当に選んだものだ。
 内装丸ごとのセットだって流通してる。さすがに全てをコピペで済ませるのは手の抜きすぎだけれど、バベルがものつくりに手間をかけるというのは、既存のコピー品の組み合わせに頭を悩ませるということだ。
 ――そう。私たちを生命と呼ぶならば、その生命は結果を成すための過程を必要としない。
 人間は食べなければならない。寒さをしのがなければならない。生きるには、望んだ結果を成す過程を、必死で歩かなければならないのだろうと思う。
 だがバベルにとって生存とは趣味であり、その過程も趣味に過ぎない。
 ここは全ての願いが叶う理想郷。理想郷にふさわしく、停滞と倦怠だけが住人を殺す。
 そして後は、まだ知らないことへの好奇心と、誰にでもあるほんの少しの美意識と――そして望み通りにならない他者の温もりだけが、私たちにとっての叶わない願いでいてくれる。

「……ドウメキのケーキ、ちゃんとできてるかな?」
「だいじょうぶ。ウタゲも手伝ってくれたんだから――」

 けれどそれでも造花は私が作ったもので、ケーキは私とウタゲがいっしょに手作りしたものだった。
 ドウメキはバベル網に生える果実の一種だ。
 それを使ったゼリーを乗せたケーキは、処理前のドウメキのグロテスクな姿からは想像できないくらい、可愛く淡いピンク色に仕上がっている。

「よかった。ヴィイはこれすきだからねー」
「ねー」

 身内の秘密を確認しあうのが心地良くて、私たちは顔を見合わせて笑い合う。
 ……でも、懐に隠した指輪の小箱は、今はまだウタゲにも見せられない秘密だ。
 ウタゲがヴィイのために、どんなプレゼントを用意しているかはわからない。
 わからないけど、その秘密には、きっとヴィイも喜んでくれると思っている。

「……造花ももう要らないかな。あとは――そうだ、ウタゲ、もうちょっと飾り付けにバラエティをくれる?」
「いえっさー!」「ぴゃー!」「おかーちゃん!」

 三人のウタゲが同時に手を振り回すと、部屋にミニサイズの嵐が吹いた。
 リボンにリース、虹色のクッション、魚の煮付け、その他私にもよくわからないオブジェクトが浮かんでは消えていく。

「――――」

 一瞬、目眩がした。
 でもモノの多さに惑わされたわけじゃない。
 ……ウタゲが笑ってくるくる回る。
 自分の尻尾を追いかける子犬みたいな、その真っ白な笑顔が、私には眩しかった。

「――ねえねえ! そのうちさ、みんなでぱーちーしようよ!」
「みんな? ああ、みんな、か――」
「うん、みんな呼ぼうよ! ヤガちゃんとか、あのセーラー服の娘とか――ボクとかもにぎやかすから、ひゃくにんくらいはいてもいい!」
「……そうだね。この部屋だって、そのためにはいくらでも広くするよ」

 ヤガと、あのまだ名の無い娘のことを思い出す。
 私はあの二人も家族だと思っているけれど、二人が私をどう思っているかは分からなかった。
 そして嵐はとっくに止んでいて、ウタゲはちいさな花瓶を手に持っている。
 ほとんどすべてのオブジェクトは虚空に消えていたけれど、それだけはきっと彼女が気に入ったのだろう。
 チューリップに似た花は、やはり造花としか言えないけれど、紙の花よりも何倍も艶やかで可愛かった。

「それに、〈あの人〉も――」
「お?」
「……いや、それは無理に決まってるよね」
「んー?」

 ……ああ。
〈あの人〉の誕生日を祝ってみたいと、ヴィイは前に口にしていたっけ。
〈あの人〉の素性を、私は何一つ知らない。
 だがこれだけは知っている。〈あの人〉はバベルではない、人間だ。

「…………はぁ」

 言葉になりかけのためいきが、私の口から漏れる。
 ……“バベルとは違って、人間はこう思うかもしれない”なんて。
“人間ならばどうするのだろう”……そんなこと、昔はぜんぜん考えなかったのに。
 そんな思考を私が浮かべるようになったのも、きっと〈あの人〉のせいだ。
 バベルは絶対的な論理の壁で、人間と隔てられている。
 ヴィイは人間を視たいと願い、それに挑んだが、答えは未だ出ていない。
 ウタゲはヴィイより前に挑もうとし、諦めたけれど、断片的な〈あの人〉との交流は彼女も続けている。
 それでも、人間を視たいという願いに応えはない。
 子犬が吠えては追いかける、動くごとに逃げていく「モノ」は、自分の尻尾に過ぎないのだろうか?
 私の娘たちは、結果のない過程をずっと追い続けている――

「……キョウコ、どしたの?」

 ウタゲの問いに、私は言葉では答えられなかった。
 代わりに私から見て右にいるウタゲに歩み寄り、そのまま背中に腕をかけてちいさな身体を抱き寄せる。
 そして正面と左のウタゲを、つんつんと指でつつく。
 それぞれ肩と二の腕にわずかに触れただけ。でも私のやりたいことを理解して、三人のウタゲは私に身体を預けてくれた。
 ――そこに区別はいらない。
 難しい考えはいらない。私は私の家族のことを、あやふやな気持ちでも理解してる。

「……ねえ。もしいやなことがあったら、何でも私に話してね」
「んー? あはは、ヘンなのー」

 ボクにいやなことなんてあるわけないのに――
 ウタゲはそう言って笑い続ける。
 けれどその心が、哀しみに崩れ落ちては立ち上がり続けてきたことを、私は知っている。
 過去にウタゲという群体からこぼれ落ちていった、死者の記憶と共に。
 ウタゲの群体に属する個体は、数え切れないほど幾体も死んではこぼれていった。
 そしてその中には、今のウタゲのようにまっしろな笑いを浮かべられなくなって、自分が群体であることすら呪った娘がいて――

「――それじゃ、横断幕を取り付けちゃおうか」
「うん! キョウコ、そっちもってー!」

 ウタゲが離れる。彼女が私に抱きしめられながら〈あの人〉のことを考えていたというのは、何の根拠もない推測だ。
 〈あの人〉に――顔も知らない人間に、私は心の中で語りかけるかのように独りごちる。

“ねえ。近いうちに、今まで話してなかったことをいろいろ話しましょうか”
“区切りを付けるためです。悲しいことも、話させてください”
“――私が誰を殺したいと思っていたのか、話します”
“きっとそれは酷い話になるでしょう。でもそれまでは、人間さん。あなたにも笑っていてほしいと思いますよ”
“あなたにも私の娘たちにも、私は幸せでいてほしいです”

 本当に話をする機会があるのかはわからない。けれど私が考えている程度の言葉なら、テキストとして世界の壁も越えられる。
 後は、私が内心を吐露する勇気を持てばいい。それだけだ。
 そうして私は最後に祈る。

“――拭いきれない悲しみが、いっぱいの幸せに、いつもくるまれていますように”

 それは、私の好きなみんなに向けて。

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