どうかこの手紙が、誰にも届きませんように。
ボクの名前はヴィイ。
もとはヴィイだった何かだ。
ボクは最初のヴィイ。
昔のボクは、今とは全然違う形のバベルだった。
女の子どころか人間の形ですらない、黒い繊毛の塊。
その姿から今の姿になるまでには、きっかけがあった。
ボクは大昔、人間に触れられたことがある。
今ではボクも、ゴーストとして人に触れられる事には慣れている。
けれどその時には、何が起きたのかすら分からなかった。
ただびっくりして、どきどきして、触れられた途端にボクはその場から逃げていった。
人間の感覚で言うなら、空気に突然抱きしめられるような経験だ。
幼体のバベルだったボクは、情報レイヤ上の存在を大きく欠いた「何か」に触れられるなんて、思ってもみなかったんだ。
でもそれは、嫌な感覚じゃなかった。
当時のボクも嫌がっていなかった事は分かる。
だってその接触から、ボクの姿はどんどん人間に近付いていった。
姿だけじゃない。世界の壁を越えるための研究も、そこからじょじょにはじめていく。
きっとボクは本能で気付いていたんだろう。
あるいはバベルの本能の欠如から、ボクは結論を出したんだろう。
人間を見たいなら、人間の目を持たなくてはならない。
「何か」の正体が人間だって分かってから、ボクはものすごい好奇心で人間を求めていった。
今ならわかる。
あたまを、なでてくれたんだ。
自分の気持ちの正体に気付いたのは、ボクがヴィイからウタゲになる直前の事だった。
これは恋なんだ。
あの人に、もう一度頭をなでてほしかった。
キミは知っているかもしれない。
「直前」というのは、ボクがすべてを諦めた時のことだ。
自分の気持ちがどうでもよくなったとき、はじめてボクはボクの初恋に気付いた。
おもしろかった。
人間に近付くごとに胸がどきどきするのは好奇心だと思ってた。
妹の研究が発展した時に浮かぶ笑顔。ボクの気持ちはヤキモチじゃなくてただの心配だと思ってた。
顔が見たかった。顔が見たかった。みたかった。
好奇心だと、思ってた。
だから全てを諦めたあの時も、切なさなんて胸に浮かばなかった。
こころの壊れたボクが想いを諦めるのは必然だと思ったし、今でもそう思ってる。
ボクは死んで、ウタゲが生まれた。
ボクのこころは死んだ。それは、断言していい事だと思う。
ウタゲの身体は無限に近い数だけ存在できる。
けれどヴィイからウタゲになった「ボク」の身体は、たったひとつだけだ。
こころはない。
あったとしても混信していて、ボクにこころがあるかどうかは分からない。
たったひとつの脳から、ボクは最初のヴィイの記憶を引き出している。
たぶん混信しているけれど。
ウタゲはほんとうに壊れている。もうボクは、自分の記憶を明確に思い出す事もろくにできない。
初恋を思い出せる時間は、一日に数十分もない。
なのにボクは、たまに胸に痛みを感じてしまう。
死んだ恋が別の何かになろうとして、胸の奥でもがいている。
胸が痛い。
こころはない。なぜ痛いのかは、わからない。
ウタゲの一部が自殺に走る理由。それは、ひとつしかない。
ウタゲは満たされた幸福のあまり、ささいな痛みにも耐えられないからだ。
それはボクもだ。
痛みもない苦しみもない何かになれたはずなのに、浮かべた笑みがどこかでひきつってしまう。
ボクのささいな痛みは、ウタゲという群全体にも悪影響を与えていると思う。
だからボクは、もっと拡散したい。
広がり尽くして、消えてなくなりたいんだ。
この手紙に誰かに何かを伝えるためのものじゃない。
何かを閉じこめるためのものだ。
思い出もなにもかも消えてなくなって、ただの言葉になればいい。
痛みはいい。
心もいい。
記憶もいい。
幸せもいい。
真っ平らにしたい。
ほんとうにこの手紙は、できれば誰にも届かないでほしい。
それならボクはそのうち自然に死んで、すべては自然に終わりになる。
でも、もしこの手紙がヴィイに届いたら――
最後のヴィイに届いたら、みっつだけ。
ヴィイが最後だ。これから先、ヴィイは写像を作らないでいい。
そしてボク達が恋をしていた事を、いつか思い出せ。
けれど気をつけて。ヴィイの恋は、ボクの恋じゃない。
この手紙がキミに届いたら、ふたつだけ。
無限のボクの中にヴィイが見つかるまで、どうかあたまをなでてください。
そしてもし、本当にもしボクを見つけたら、殴り殺してください。
これは…うわぁ…
ごめんなさい。俺は殴り殺せません。
代わりに目一杯抱きしめて、頭を撫でる。拡散した分をまとめるように。
その時は、嫌われるかもしれませんが(笑)
殴り殺せとな?絶対にノウ!
『ごめんね。
ありがとう』
よんでしまった
『ありがとう、ごめんね』
綺麗過ぎる言葉は時として、何となくサヨナラに聞こえるから怖いね……
読んでしまったのならしかたがないですね。
また会えることもあるかもしれません。
・・・・・まかせろ、力の限り殴り飛ばしてやる。
『まってる』
ああ、君がそう望むのなら全力で殴り飛ばす。
そして絶対に忘れないから、君はそのまま君の記憶の奥底に眠るといい。
僕が永遠に忘れないから。