ショートショート『幼馴染伝説』

朝起きたらメッチャ起こされてました。


 ――づん、づん。
 俺は朝、こんな音で目を覚まされた。
「……あ?」
 上体を起こす。枕元の眼鏡をかけるが、眼球より脳味噌が仮眠してるから視界は悪いまま。
 それ以外は寝癖も半分開いた寝巻きのボタンも無視。シーツは剥ごうにも元からかかってない。俺は寝相が悪い。
 づん――
「……ったく」
 俺は軽く自分の頬をはたき、脳に微震を与えた。
 さっきから響いてるのは、普通に暮らす上では聞かないような音だ。
 間違っても目覚ましの音なんかじゃない。
 想起されるのはベルでなくハンマー。
 例えるなら工事現場の響きに似ているが、それはあくまでモノのたとえだ。
 づん、づん、づん。
 俺は窓に近づき、景気良く一瞬で全開にしてやった。
 件の音がさっきから、窓の近くから響いてるのは明白だ。
 ここは郊外の一軒家。俺の部屋はお約束の地上二階。窓から見下ろして視界を遮るものは電柱くらいか。
 ――づぐっ!
「っ!」
 見えた。
 聞こえた。
 さっきからの音の正体。
 だがヤツ・・は無害で無意味な未確認存在なんかじゃない、確固とした意志を持って俺の周辺をうろつく存在だった。
 巨大な鳥が離陸するような音が炸裂した。
 ヤツ・・は窓から入ってくる、と俺は直感、だらしないが動きやすい姿のままで身構える。
 来る――
「けぇいっ!」
「ぐぬ゛うっ!」
 侵入者に墜落死を体験させる覚悟で放たれた俺の前蹴りは、間一髪のところで防がれた。
「……全く」
「ふう……」
 ため息をついたのは、俺の目の前のヤツ・・の方だった。
「ふうじゃあるか、この馬鹿女」
 ヤツ・・に言ってやる。
「……あたし、馬鹿じゃない」
 そうかそうか、馬や鹿にも知能で譲る謙虚な構えか蹴られちまえ。
「どこの世界に! 人の家に、ピトンとハンマーで壁昇りして入ってくる馬鹿がいるんだよっ!」
 ヤツ・・に向かって思いきり叫ぶ。
「だって……おばさん、縄梯子を使っても先回りされるようになってきたし……」
 かあ、と頬を染めてヤツ・・こと馬鹿女こと犬子は言う。
 うつむいた姿は正直可愛い。名前通りに頭を撫でて餌をやりたくなるくらいだ。
「――あー、俺の母さんに見られるのが恥ずかしいのな?」
「……うん」
「高校生にもなって、とか? 恋人同士じゃあるまいし、とか、いくら幼馴染でも、とか?」
「うん……」
「非常識だって自覚もあったり?」
「……か、壁は弁償するから」
 いや、そこまで縮こまらなくても。母さん壁に傷どころか部屋に大穴開けられても笑ってたし。
 それよりだ、犬子。
「…………なんで、その非常識を俺に見られるのは構わないんだ?」
「だって京ちゃんだし」
 ダメだこいつ。
 犬子じゃなくて俺が動物扱いだ。
 こいつの常識の中で俺だけが空白っつうか、俺の事を異性として認識する以前で自分のオプションパーツそのいちとしか見なしていやがらねえ。
「……とりあえず、着替えるし」
「手伝おうか?」
 今反射的に言ったな。お箸取ってあげようかくらいのノリで言ったな。
「――その、犬子さん、俺は男であんたは女だ」
「えっ」
“あんなに小さかったのに?”と言わんばかりの表情で小首を傾げる犬。うーん犯したい。
「部屋から出るのが嫌なら後ろでも向いてろ、……っと」
 ――京ちゃん、わんちゃん来てるのー?
 母さんの声だ。
 犬子が物凄い勢いで壁に飛び退るのはともかく、恥ずかしそうに縮こまるのは分からんでもない。いくら犬子が犬だからって、さすがにわんちゃんはなかろうに。
「急ぐか。マットは?」
「ま、窓の下に敷いてあるよ。ちょっと小さめだから、気を付けて」
 なんで俺は窓からの飛び降りにこんなにも慣れきってますか。
 そしてなんでこんな奴と面白おかしく一緒に登校しようとしてますか。
 そう思いつつ制服に着替える。犬子の顔は見えない。当たり前だが。
「つー……」
 さっき蹴りを放った足がまだ痺れてる。腕を上げたな、こいつ。
「あのさ」
「うん?」
「せめて飯くらいはうちで食ってかねえ? 母さんお前の分くらい用意してくれるし、お前残して俺だけ朝飯食いに行こうとするとスゲェ怒られるし、いつもみたいにこのまま逃げても叱られるし」
「……んー、ううう」
「でも母さん、毎朝飯の用意はしてくれるしな。お前が来るとき、いつも勿体無くてさ」
 犬子も、悩んではいるらしい。
「……やっぱり、その。あと朝ご飯はあたしが持ってきてるじゃない、ていうか前から思ってたけど、京ちゃんってマザコン?」
「はははブッ殺す」
 笑いながら殺気を送っても身じろぎもしやがらねえ。
「遅刻するよ、京ちゃん」
「……飯は教室で食うか」
「え、えええ、きょきょきょ教室でなんてみんなに見られててて」
 俺はこいつが、俺以外の人間の前で飯を食ってるところを見たこと無い。
「いや、お前は好きにしろよ、俺は――って、マジ遅刻か! どうして今日だけ遅れたんだ!?」
「仕方ないんだよ! 新聞配達の人に会っちゃったから!」
「マジか! 前みたいに勢いで眠らせたりしてないよな!」
 俺が叫んでるのは、窓から飛び降りる勢いを確保するためだ。
「大丈夫だよ、たぶん普通に通りすがっただけ! 先に行ってるよー!!」
「おい、多分って――ああこの、おい!」
 犬子の行動は早い、とっとと窓から姿を消した。あれで通りすがりの人物に見られない位置を確保しての行動だから凄いのか何なのか、少なくとも俺より度胸はあるよな。
「――だぁっ!」
 もうこれ以上話してる暇もない、勢いを付けて飛んでいく。
 たかが二階たかが二階と念仏を唱える間もなく、マットに強烈な着地をするまでは一瞬だ。
「京ちゃーん!」
 こいつはどんな時でも、他人さえ絡まないなら素直だ。
「脚折ったら、だっこしてあげるからねー!」
 こんな事を言ってくるんだ。実際そうなったら死体袋に入れて隠しかねない癖に。
「ったくこの、おま――」
 しかし俺は照れちまってもつれた言葉を、空中で、
 
 あ。
 舌噛んだ。
 
「――いぃいいいぎえええええあああああああああっ!?」
 舌にギロチン落下力。
 エネルギーの公式がお約束の定理で倍化されて1200万倍くらいになって、あ、犬子焦ってる、つうか笑ってるんだか何だかわかんねえ、そもそも目の前が赤いんだか黒いんだか分かりませんよ?
 どうも俺は足から着地しようとしているつもりだったと思うんですが、ちょっと身体が傾いてるのは気のせいですか?
 
 
 
 
 俺は五針縫う事になった。