余談

論旨:
 創作活動においての自己優先と他者優先の天秤。

主張:
 その活動の目的が趣味的なものであるなら、その活動により他者が楽しめるかより自分自身が楽しめるかを重視した方が理にかなっている。
 ひとつの物事を他者が楽しめるかどうかは不明確だが、自分自身が楽しめているかどうかは自明だろうから。

反論:
 自分が楽しんでいるかどうかと言う事は、本当にそれほど明確に分かるものなのか。

ツッコミ:
 そもそも「他人のために行う趣味」って一体何の事だ?
 
一般論:
 創作なんて自分がやりたいようにやれば良いんじゃないスか。

主張:
 その“自分がやりたいよう”に他者が深く絡んでいるからこういう事を考える訳で。
 つまり今自分が面白くてノリが良くて満足できそうだと思っていることと今他人に受けて褒められて舞い上がれそうだと思っていることの天秤。目的ではなく手段の問題。

主張:
 その活動の目的が趣味的なものであるなら(以下省略)

ツッコミ:
 でも現に他者とやらの評価が気になるんなら、自己を重視するだけ無駄じゃね?

自棄:
 もう良い。もう楽しくなくとも良い。自分含む全員が不快になってても良い。何の意味もなくても良い。

駄目:
 やっぱり駄目だ。むしろ無理。

(投稿作は純粋な趣味とは言えないだろうという話は、とりあえずおいておく)

2件のコメント

  1.  自分の為に作ったメシって、マズくても自己責任で済みますが、人の為に作ったメシではそうもいかない。でも別に、オレはメシ屋さんでもなければこのメシで金取ってる訳でもねェよなぁ。
     ……みたいな感覚ではないかと。無理に結論付ける必要もないと思いますし、楽しんで面白いものを書いてください。

  2. どっちも捨てられるものでないと言う事は俺の中で確定しています。
    結局当分は状況に応じてやっていくんだろうなあ、と。コメントありがとうございました。

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